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『ゲイ術 三昧の日々』

このブログは、管理人(ゲイです)の『オペラ』に関する個人的な備忘録です。そして、もう一つ、日々の感慨の記録です。

『母への手紙』その1

貧しい家庭であった(今も貧乏ですが)ので、家に色彩が少なかったでせいもあったのかもしれませんがお母さん、僕が小さいころ歌ってくれた、『おお、ブレネリ』とか『花』とか『流浪の民』は、大聖堂のステンドグラスのような光で、僕の脳天に差し込みました。

女学生時代にコーラス部のスプラノであったお母さんあなたは、何かにつけて聞いたこともないような不思議で複雑な旋律を、いつも口にしていました。

特に、温い布団の中で僕を抱きながら歌った『シューベルトの子守歌』や、月夜の河原を散歩しながら歌った『荒城の月』は、45年以上経った今でも、生々しい記憶です。

お母さん、あなたの性格から言えば、それを僕に聴かせるというより、自分自身のために歌っていたのだろうと思います。

 

ところで、お母さんの歌の旋律だけではないのです。僕は小さい頃から、綺麗なものに異常な関心を示していました。

それがなぜなのか、自分でも分からないのです。

戦前はリッチな家であったためか、家の押入れ深くには手の込んだカットのグラスや、屏風や重箱などがあって、来客時にはそれを使っていましたが、誰も家にいないときには、それらをそっと取り出して眺め、恍惚と一人想像を膨らませていたのです。

なにを想像していたのかというと、豪奢な什器のならんだ西洋のお城の大広間や、昼なお暗い御殿のお姫様の部屋などです。

西洋のお城では薄い絹地が幾重にもドレープを描くドレスを着て、御殿の奥深い部屋では金糸の鶴の大刺繍が差してある打掛を着て、意味もなく嘆きすすり泣くお姫様に、自分を置き換えて想像を巡らしていたのです。

 

お母さん僕は、誰に教えられた訳でもないのに、時代劇や外国の映画から、豪奢な部屋の一室だけを頭の中に切り出して、一人悲劇の女になって空想で遊んでいたのです。

僕の家が貧乏であった(今も貧乏ですが)から、猶更その情景に逃げることを無上の喜びとしていたのです。そこでは、自由に優雅で豪奢な女になれました。そして、その女は必ず悲劇の女でした。城や御殿は火に炙られていて、死なねばならない宿命の女でした。

無彩色な家の中で、僕が頭に描いていた世界は、極彩色の絢爛たる絵巻物でした。

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