トーマス・マンの『魔の山』
マンの小説には、しばしば国をシンボル化した登場人物が描かれます。
晩年の皮肉な小説『欺かれた女』などは、国の擬人化が非常に凝っていて面白い。
『魔の山』の登場人物もまた、ユニークな表現で、ヨーロッパの国を象徴しています。
彼らはアルプスのサナトリウムにて、怠惰で、優雅で、我儘な生活を、病気の名のもといつ終わるともなく過ごしています。その日々の何と、非生産的なこと。
主人公はこのだらけた日々を、第一次世界大戦の志願兵になることで終わらせます。
そして、最前線の弾丸飛び交う、生死の修羅場に立って、初めて生きていることの実感を味わう、そういう内容の小説です。
リストの交響詩『前奏曲』みたいです。
優雅。病気。サナトリウム。倦怠。
第一次大戦前夜のヨーロッパを自ずから語った、素敵な小説です。
管理人の祖父(実は血のつながりはないのです)は、70代の一時期を親戚の病院で過ごしていました。何の病気であったかは覚えていませんが、重症患者では全くなかったです。
その病院は今よくあるような形態のものではなく、広大な敷地のアチコチに和風の数寄屋が建ち並んでいた保養所のようなところでした。祖父はその病院の親戚をいいことに(おじいちゃんゴメンね)、そこで文字通り着流し姿の楽隠居を気取っていました。
祖父が、いつ、なぜ退院したのか、今は覚えていません。
ゲイが生まれる家庭は、何かと女の個性が光っているように思えます。
管理人の祖母は、強烈な個性を持っていました。
祖父は、その祖母に病院から引っ張り出されたのかもしれません。
そして、祖母の個性の下で、また日常を取り戻し、緊張感の中で、生きていることの実感を味わったのかもしれません。