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『ゲイ術 三昧の日々』

このブログは、管理人(ゲイです)の『オペラ』に関する個人的な備忘録です。そして、もう一つ、日々の感慨の記録です。

黛敏郎『金閣寺』 そして市川雷蔵の『炎上』 148

作曲:黛敏郎(1929〜1997) 原作:三島由紀夫
指揮:岩城宏之 演奏:東京フィルハーモニー交響楽団 合唱:東京混成合唱団 1991年3月8日 オーチャードホールライヴ

 黛の音楽は、総じて好きなのである。この『金閣寺』も、いいオペラである。

ただ、やはり、オペラで黛を聴いてみると、彼も日本人であったかと納得する。

やはり淡泊さが滲み出てしまうのだ。

でも『ペレアスとメリサンド』よりは傑作として後世に残るのではないだろうか、と思う。

金閣寺ついでに、市川崑の『炎上』を見た。

市川雷蔵や、中村雁次郎など、大好きな役者が出ていて満足の作品であるが、三島の描く人物の不自然さが、やはり鼻につく。

ずっと下にあるのは、焼ける前の金閣寺だ。

揺すったら、壊れそうだ。

放火犯の林は、そんな金閣寺を、わが身を見るようだと思い、強迫観念に駆られて火をつけた、のほうが、いかにも有りそうな展開で、スッキリするのだが。

人に、そうそう深淵な苦悩は、ないものだ。

飛躍しすぎた物語を描くのは、二流の作家である証拠である。

 

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1397年(応永4年)、足利義満河内国の領地と交換に西園寺を譲り受け、北山殿」または「北山第」と呼ばれた別荘をつくった。
1408年(応永15年)に義満が死亡すると、義持は北山第に住んでいた異母弟義嗣を追放して自らここに入った。
1409年(応永16年)義持は北山第の一部を破却して三条坊門第に移った。その後、義満の妻である北山院日野康子の御所となっていた。
1419年(応永26年)11月に北山院日野康子が死亡すると、舎利殿以外の寝殿等は解体され、南禅寺建仁寺に寄贈された
仁の乱では、西軍の陣となり建築物の多くが焼失したが、江戸時代に主要な建物が再建され、舎利殿も1649年(慶安2年)に大修理された。

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同寺子弟の見習い僧侶であり大谷大学学生の林承賢(本名林養賢・京都府舞鶴市出身・当時21歳)が放火。

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事件当時の寺関係者の回顧談等によると、焼失直前の旧金閣はほとんど金箔の剥げ落ちた簡素な風情で、現在のように金色に光る豪華なものではなかった。
林承賢の母は、京都市警による事情聴取のため京都に呼び出され、実家がある大江への帰途、山陰本線の列車から亀岡市馬堀付近の保津峡に飛び込んで自殺している。
1950年12月28日、京都地裁は林に対し懲役7年を言い渡されたのち服役したが、服役中に結核統合失調症が進行し、加古川刑務所から京都府立洛南病院に身柄を移され入院した後の1956年3月7日に死亡した。