『ゲイ術 三昧の日々』

このブログは、管理人(ゲイです)の『オペラ』に関する個人的な備忘録です。そして、もう一つ、日々の感慨の記録です。

歌舞伎について。歴史を振り返れば!

能は、室町将軍家や、太閤秀吉、江戸の柳営や近世大名家に、長い時間をかけて育てられた由来の為か、気品がある。

もとは、卑賤の民の芸能であったものに、貴顕の花が添えられたためだ。

まあ、台本自体が、品のいい内容であることも、大きな後押しになっている。


歌舞伎は歴史が浅い上に、民衆の芸能であった為が、独特の卑しさが根底に流れている。女子供が喜ぶ芸能とは、よく言ったものだ。

また、歌舞伎座のお客連中をみても、彼ら彼女らが、今、歌舞伎界が目ざとく目指している、上品で高踏な世界を作り上げるバックボーンとしては、もの足りないような感じがする。


ところで、僕が思うのに、歌舞伎には何かパンチ力がないように思う。

歌舞伎にそのエネルギーを感じないのは、元々の乞食芸の下卑た本質を、夢のように忘れて役者たちが振る舞い演じているからだ。
歌舞伎役者の芸は本来、ホストクラブの一発芸や、ドサ回りの歌謡ショウー、あるいは地方の温泉のストリップショウーのようなパワーがなければならない。

そうでなければ、面白くない、ストーリーを演じていることを、むしろ彼らは、誇らなければ、ならないのだ。

もっと、泥臭く、卑猥で、下賤で、厚かましく、媚びたものでなければ、あの歌舞伎という芸能は生き生きとしないのである。

第一、そういう内容の台本ではないか、歌舞伎は!

歌舞伎の話は、荒唐無稽で、チンチクリンで、幼稚である。

面白いのは、確かだが、どうみても、下卑た芸能の雰囲気があう。
これは、歌舞伎の将来を憂いて、言っているのだよ。

歌舞伎役者は、歌舞伎の本質を忘れ過ぎている。

いや、忘れようとし過ぎている。