黒澤と溝口と小津 三人では誰が一番いいか?
管理人は、『映画』が好きです。
特に、『ドキュメンタリー映画』は大好きです。
閑話休題、ここにきて『黒澤』『溝口』『小津』の作品を観直しております。
若い頃には気が付かなかったところに、目が届くようになりました。
『黒澤』の骨頂は、メイハリの効いたカメラと、劇的な表現にあります。
センスがいいマイスターであるのは、確かです。
面白いストーリーがスピーディーに展開して、目が離せないです。
ただ、過度の作為、受け狙いがあり、やや疲れます。
役者の演技の粗さも、疲れる原因です。
『黒澤』にとっては役者はどうでもよかったのだと思います。
『溝口』の真髄は、粘着のあるカメラと、湿り気のある叙情にあります。
根からアーティスト感覚を持ったのマエストロです。
不自然な哀しみや、穿った情景美が、次々に写されて、一般大衆をひれ伏させたい『お根性』が見え隠れしています。
ストーリーに、中だるみがあり、やや残念です。
脇役の使い方が素晴らしいです。
その反面、主役を美化し過ぎたきらいがあり、映画にリアル感がないです。
『小津』は、素晴らしい。
キッタハッタのドタバタで、仕事を誤魔化そうとしていない。
役者の演技に統一感があり、完全完璧に統制された美意識の中に演繹している。
印象を残させるものモノ、サラリと流させるモノを、充分に分かっていて、その時間配分、空間配置が絶妙である。
淡々とした日常こそが、人生の一大事である。
キッタハッタの浮世離れは、リアルでない、それを知っていた映画人。
例えば、個々人にとって小指の深爪の痛さと、遠い国でのテロとでは、痛みと辛さが愕然に違うもの。深爪の痛みこそ、描くべきもの。
きれいごと、絵空事は、やめにして、身につまされる日常を描いた。
それは、今でも斬新。
三人の巨匠では、ナンバー1。
ただ、似たような映画ばかりのイメージがあるのが、残念。