『ゲイ術 三昧の日々』

このブログは、管理人(ゲイです)の『オペラ』に関する個人的な備忘録です。そして、もう一つ、日々の感慨の記録です。

歌舞伎は、長い目で見たら衰退するね。間違いなく。

尾上菊之助の『青砥稿花紅彩画』や、福助の 『桜姫東文章』のナマ舞台を、一等席でガン見して、詳細に歌舞伎の隅々を鑑賞した。

その結果、この芸能はやがて衰退する部類のものであることを悟った。

その所以を下に書きますね。

①役者が醜い。テレビや映画などの分野の役者に比べて、容姿が醜い。歌舞伎のファンは、無理して、あるいはムードに流されて、よく分からないまま、歌舞伎役者をいい男、いい役者としているが、決してカッコいい訳でも、演技が特出している訳でもない。

②役者が歳と取り過ぎている。梨園の世界のことだから、家が基本になっているのは仕方ないが、家の長がいつまでも舞台にしがみ付き、その不気味さは、お化け屋敷の上の奇異さである。そして、錆びついたおじいちゃん達の演技が上手い訳でも、またなく、キレはなく、モタモタしていて、観るに耐えない。

 

f:id:azaz11:20140228064935j:plain中村雀右衛門

金閣寺』の雪姫を演じた最晩年の雀右衛門は、老人が出しゃばり、そう言う意味では見上げた根性を持っていた役者だ。

いやいや雀右衛門に限らず、歌舞伎役者も高齢化から、みんな出しゃばっているので、そう言う意味では、みんな惨めなお根性をもっているなぁ〜。

雀右衛門の雪姫は、溌剌感からは当然程遠く、微塵も若々しくなく、痛々しい憐れさも誘われなかった。

 

演劇は、人がメインの芸術であり、その人には、お役目が宛がわれている。

そのお役目に違った人が、そのお役目をヤルと、非常な無理があり、冷静な観察眼をもった鑑賞者の、目や耳などの五感六感を満足させることは出来ない。

目や耳が肥えた人を満足させることが出来ない芸術は、衰退する、とにかくそう悟った。