晩年のゲイの独り言 おセックスの話 その3
おセックスの話を、今度記載するときは、実際、おセックスをやった後にしようと思っていた。っで、やっと、記録することが出来る。
久しぶりに、『ウリ専』で買い物をした。
それも、相当腰が重く面倒と思いつつの買い物だった。
この面倒さの感覚と、おセックスしたいといった衝動のバランス。
はたして、どうなんだろうか?自分でもわからない。
ただ、あまりおセックスは好きではなさそうなのは、確かだ。
買い物したのは、ノンケと言われている、野球青年らしい人物。
選んだPCでの画像では、モザイクがあったので、細かい部分はわからなかった。
「ピンポン」を玄関のモニターに映った人物は、モザイクの下にボクが想像してい人物より趣味に適していなかった。
まぁ、指名した限り仕方ない。
感想1
重い。乗っかってきたとき、重いと思った。
感想2
臭くはないが、口臭が気になった。
感想3
ああだ、こうだと、指示するが、今回の子は、必ずしも飲み込みがいいほうではなさそうだった。でも、彼なりに一生懸命だった。
文章未完成
であるから、ライオンやトラが、いくら格好よくても、飼っている犬が可愛いくてもまた、より優秀なコピーを求めて、全く自分とはタイプの違う種類の相手に対し絵好意を抱くようになるのだ。
全ては、脳に繰り込まれたシステムによるもので、僕達は、その罠に翻弄されながら、恋愛というものをしているだけなのである。
生殖とは、生物が生き残ろうとする欲求から派生した、性欲と言う本能によって、延々と行われた行為である。
ところで、生き残ろうとする欲求とは、いかなるもので、どうして生物はその宿命を背負ったのであろうか?
残りたいと言う衝動、これには理屈などないのであろうか?
生物はこの空間に、何の望みを感じ、自分のコピーを残そうとするのだ?
セックス、恋愛、これらは、コピーを残すための、罠なのだ。
言うまでもなく、セックスは、動物にとって最大の関心事であり、最高の喜びなのである。
そうなるように、つまり動物としてのコピーを残すために、脳にブログラミングされたものだから、関心事となり、喜びとなるのだ。
実は、僕は半世紀だけ、丁度この三次元の世界で生活しているのである。
この二・三年の事だが、身体と気持ちにある変化があった。
つまり、セックスに興味ななくなったのだ。
そうなると、それはそれで、確かに人間としての楽しみの大部分が、消失したように感じた。空虚な時間の洞穴が出来、心の隙間がペンチでグッと拡げられたように感じた。
寂しいものだが、自然に、あるように、キチンと枯れて行く自分に、向き合わないといけないと、思っている。
しかし、僕と、同世代の知り合いには、まだまだ、セックスへの関心が強い人がいる。
彼らの脳を割って、中味が見たいものだと、思う。
コベントガーデン ロイヤルオペラハウス