何だか、飽きてきたし、空虚と孤独!
ボクは、割と、凝り性である。
自分なりに満足でききるまで、徹底して物事を追及しようとする、(ボクから見れば)悪質な面を持っている。
性急に、集中して、興味を持った対象にぶつかる。
であるから、対象のおぼろげな全体像を把握するのに、そんなに時間がかからない。
そして、興味の対象は幅広い。
今は、『物理』がマイブームだ。
理系の大学を卒業したのだから、学生時代にもっと『物理』に開眼しておけばよかったと反省している。
面白い、とにかく面白い。もっと詳しく知りたい。もっと深く、もっと広く。
こんな状態で、集中して、性急に、興味を持った対象にぶつかる。
そして、あるいは「しかし」と言ったほうがいいか、飽きが来るのも、早い。
集中と、飽きの繰り返し。
まま、その繰り返しのお蔭か、ボクには異常な感性が培われた。
ここから悲劇が始まったのだ。
話が、人と合わなくなってきたのだ。
いや、誰しも、自分と一致した感情の共有など、出来ないだろう。
ウイットやユーモアーを漂わせ、その場を誤魔化し人を楽しませることは、お手の物だ。
ただそこには、計算高い厭らしい心根の密林が広がっているだけ。
気分が悪くなる。
ああ、少年の頃のような、心底、面白可笑しかった時間が持てなくなった。
まま、そんな少年のような、天真爛漫さなど、50を越えた人間に期待するほうが、馬鹿げた考えなのは確かだ。でも、しかし、と我儘の心が叫ぶ。
でも、しかし、ボクは、面白、可笑しいものを、持っている。知っている。
だから、その面白可笑しいものを語り、弄びたい。誰かと。
しかし、共有できる人は、なかなか見つからない。
人は、ボクのような人間を、気難しい人と言う。
しかし、陽春白雪。陽春白雪。
そこに拍車をかけたのが、好奇心と向学心を持たない人間に対する幻滅である。
知性のない人間の話の、なんと面白くないことか!
ボクの我儘な心が叫ぶ。
彼にも、幻滅。
彼女にも、幻滅。
なんだか、ディレッタンティズムが、僕の老人性頑固さを形成しそうで、怖いのである。
こんなことを悩む。
本当に、贅沢な日々である。
ボクのマンションのベランダから見た、富士の夕暮れ。