谷崎潤一郎『春琴抄』の調べ
日本の小説家で、文句なく一番なのは谷崎潤一郎でしょう。
これは、相当の自信をもって言えます。
あらゆる角度から語ることができる大作家です。
ここでは、『春琴抄』の文章の美しさについてお話します。
日本には短歌をいう、ことばの音楽があります。
五・七・五・七・七の言葉数にリズムを付けて、詠い上げます。
しかし、散文ではありません。
『春琴抄』が、歌の流暢さを散文に託した小説だなんて、いいたいのではないのです。
それすら超えていて、言葉の色・光・舌触り・肌触り、そして何よりも、音旋律の上下の心地よさは、他に例がありません。
わたくしは、一度、そのあまりに美しい文章にノックアウトされてしまい、いてもたってもいられず原稿用紙に写し取る恍惚を味わいたくなりました。
写し取って、そして気づいたのです。
『春琴抄』の文章は、主語述語の曖昧さなんてものではなく、文章作法を無視して書き上げられていることを。
実際こんな感じで文章が進む。
「読者は上述の説明を読んでどういう風な面立ちを浮か べられたか恐らく物足りないぼんやりしたものを心に描かれたであろうが、 仮りに実際の写真を見られても格別これ以上にはっきり分るということは なかろう或いは写真の方が読者の空想されるものよりももっとぼやけてい るでもあろう。」
感覚的に筆を進め、読者に違和感を感じさせない、谷崎潤一郎。
凄いと思いませんか。